On the Blogging and Writing Metas

Unattributed

ブログと執筆のメタについて

原文は Unattributed により に公開されました。 このブログを購読する

2026年7月3日、ミシガンシティ東灯台から見たミシガン湖2026年7月3日、ミシガンシティ東灯台から見たミシガン湖の眺め(2026年7月3日、ミシガンシティ東灯台から見たミシガン湖)。

2026年7月3日(金):今朝、Bubblesのトップ12にはこんな記事が並んでいた。You Don’t Have to Blog Like MeStop Writing for BubblesRe: Your Metablogging is LameYour Metablogging is Lame as Hell。もっと下まで見ていけば、似たような記事がまだまだたくさん出てくる。特にブログのプラットフォームについて語るものが多い。そう、Bubblesコミュニティでは今、書くこと自体への執着が渦巻いているのだ。よし、わかった! 僕もこの楽しくて儲かる列車に飛び乗るとしよう!!

はいはい、冗談だよ。主にね。まあ、たぶん。いや、もちろん冗談だ。

「書くことについて書く」ことや「ブログのプラットフォームについて書く」ことは(もしかすると)中身の薄いコンテンツだ、という意見には僕も同意する。そして、ただクリックを稼ぐため、人気を得るためだけに書くのはダサい、というのもそうだ。では、そんなコンテンツよりもさらに中身がないものが何かわかるだろうか? そう、お察しの通り、そんなコンテンツについて文句を言うことだ。

書くことの世界におけるメタは、ほぼ永遠の昔から存在してきた。僕らの誰かが生まれるよりもずっと前からだ。そして、どうなると思う? 僕ら全員があの世でキーボードを叩く百万匹の猿の仲間入りをした後も、書くことのメタは残り続けるのだ。

メタというのはコミュニティの中で行ったり来たりするものだ。波のようなもので、時には大きく、時には小さい。でももし潮汐が完全に止まったら、事態はもっと悪くなる。メタの潮が引いた状態を作りたい? 一番いい方法は、無視することだ。

僕の経験上、何より大切なのは、自分が書く理由と目的を持ち、そこからブレないことだ。メタの大潮に気を取られるのはあまりにも簡単だ。目の前の波に飛び乗って、どこまでも乗りこなしたくなる。でも結局は浜辺に取り残され、次の大きな波を探すだけになる。

今、僕は古いウェブサイトをすべてこのプラットフォームに移行している最中だ。なぜか? これまで使っていたプラットフォームが、この10年ですっかり使い物にならないゴミと化してしまったからだ。僕に言わせれば、プラットフォームのエンシッティフィケーションの最たる例だ。このブログでも会話の中で一度触れたことがある。でも、それをわざわざコンテンツ化するつもりはない。なぜか? あのプラットフォームのエンシッティフィケーションを取り上げるのは、僕にとってはあまりに露骨すぎるからだ。だからこそ、自分のスタンスを貫いて、余計なことに気を取られず、書きたいことを書いていけばいい(もちろん、エンシッティフィケーション自体は僕が探求したいテーマの射程には十分入っているのだが)。

こういうコミュニティにおける文章が最も輝くのは、書き手がなぜ書くのかを自覚しているときだ。中核となる価値観と、その価値観を通して探求したいトピックやアイデアの領域を見つけているときだ。そうなると文章はより多様になる。同じテーマを扱っていても、みんなそれぞれ違うものを持ち寄るからだ。そうやって、より自然で面白い交流が生まれる。みんなで次の大きなメタの波に乗るよりも、ずっとな。

この記事は「muse-spark-1.2-contributor」を使用して翻訳されました。

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