AIは役に立たない、だが未来への最良の賭けだ
原文は Salvatore Sanfilippo により に公開されました。 このブログを購読する
5分前にAIを使ってうまくいった。
たった5分前、僕はソフトウェアを書いていてAIに手助けしてもらっていた。それなのに今、僕はこのブログ記事を「人工知能はこれまでのところ、どこか役に立たない」という書き出しで始めようとしている。さっきあれほど役に立ったのに、どうしてそんなことが言えるのか。実は、何を意味しているのかを明確にすれば、そこに矛盾はないのだ。
要するに、今この瞬間の人工知能は僕を大いに支えてくれる。複雑なコードで行き詰まったときや、難解な数学の論文を理解したいとき、AIに頼れば整理する手助けをしてもらえる。プロジェクト用の画像を生成したり、翻訳をしたり、YouTubeの書き起こしを整えたりもしてくれる。こうした日常的なタスクにおいては、明らかに実用的で有益だ。
しかし、AlphaFold——タンパク質の折りたたみについての理解を大きく前進させたGoogleのAI——のような稀で画期的な例を除けば、AIはまだ人間の知識を根本的な意味で前進させてはいない。これら少数の例外的な成果を除けば、AIは(言うまでもなく)まだ最も優れた人間の知性にも匹敵していない。もしAIシステムが最も聡明な人間と同等のレベルに達すれば(それ以上である必要はない。最初の人類的な飛躍にはそこまで求められない)、そのシステムを何百万と展開して研究を劇的に加速できる。何世紀もかかると予想された進歩を数十年へ、数十年かかるはずだった進歩を数年へと変えられるのだ。
だが、もし人工知能が現在の発達水準にとどまり続けるのだとしたら(たとえ小さな漸進的な改良は続くとしても、多くの翻訳者やプログラマー、ドライバー、俳優などを解雇するには十分な程度の)、そもそも存在しない方がよかったのかもしれない。このことはシチリアで開かれたカンファレンスで口にした。ステージで質問されるまで、そんな考えは頭によぎりもしなかった。返答を考えながら自問した。もしAIがもたらすのが些細な漸進的改善だけだとわかっていたら、失業やその他のストレスが引き起こす社会的混乱に耐える価値はあるのだろうか。おそらく、ない。テクノロジーは、より大きな文化的発展を可能にし、苦しみを減らし、そうでなければ不可能なことを達成できるようにすることで、人類に奉仕すべきだ。現在のAIは役には立つものの、その域にはまだ完全には達していない。
だからこそ、AIへの投資は賭けのようなものだ。僕はさらなる投資と進歩の継続を支持する。必ずしもAIが今できることのためではなく、将来なりうるもののためだ。今日目にする進歩はしばしば私たちの予想を超えており、明日にはさらに大きな、予期せぬブレークスルーが起こることを示唆している。
AIを支持する我々にとって、議論の軸はAIの現在の能力だけに置かれるべきではなく、その可能性に置かれるべきだ。5年後には、AIは医学に革命的な進歩をもたらし、数え切れない命を救うかもしれない。10年から20年のうちには、環境問題の解決に大きく貢献し、複雑な問題を解き明かしたり、気候変動を緩和するための効果的な手段を提供したりするかもしれない。
ささやかなブレークスルーでさえ、気候変動の動態は深刻ではあるものの私たちが現在考えているより効果的に制御可能だと明らかにするかもしれないし、思っているほど深刻ではないので制御する必要がないと分かるかもしれないし、断固たる行動をとれば手に負える時間内に問題を解決できると分かるかもしれない。本当の賭けは未来にあり、現在にはない。今日のAIの能力だけに注目すれば視野は狭まり、懐疑的な人々を説得することも難しくなる。しかし、将来の発展が期待通りかそれ以上になれば、今日生じている一時的な社会問題など、得られる計り知れない利益に比べれば小さな代償で済むだろう。
ただし、慎重でなければならない。実存的リスク(AIが壊滅的な脅威になりうるというリスク)は、わずかではあるが現実にある。警戒を怠らず、備えておく必要がある。社会的な課題についても、政府や社会全体が真剣に向き合う必要がある。
結局のところ、僕たちはリスクをとり、粘り強く、フロンティアの向こう側を探求しなければならないと信じている。なぜなら、AIがその巨大な可能性のほんの一部でも実現すれば、私たちの能力を再定義し、社会を作り変え、人類の未来を完全に変革しうるからだ。より良い方向へ。
さて、無料で高速なコードレビューのために、僕のLLMのところに戻るとしよう。
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