Translating blog posts with GPT-4, or: on hope and fear

Salvatore Sanfilippo

GPT-4でブログ記事を翻訳する、あるいは希望と恐れについて

原文は Salvatore Sanfilippo により に公開されました。 このブログを購読する

私がブログを書くときのプロセスは、おおむね2つのステップに分かれる。

  1. 数週間、時には数カ月かけて何を書きたいかを考える。いや、数週間もブログ記事のことだけを考え続けているわけではない。実際は逆だ。数週間も頭から離れないほど自分にとって重要なことについて、ブログを書くのだ。
  2. そして、ある程度アイデアがまとまって形になってきたら、30分で一気に書き上げ、体裁などあまり気にせず「公開」ボタンを押す。やり方はだいたいこうだ。まず言いたいことの大枠に沿って各セクションの見出しを書き、次に空っぽの段落を文章で埋めていく。

なぜステップ2をそんなに軽く済ませるのか。ほかにもやることがあるからだ。もしブログを書くのに30分や60分以上かかるなら、いっそ書かないか、書く頻度を減らすか、苦しみながら書くことになるだろう。どれも何としても避けたいことだ。ブログは自分にとって手放すにはあまりに重要だ。だから私にとっては、体裁を諦める方がましなのだ。

同時に、これが私のブログ記事の多くが、内容の有益さや有用性の程度にかかわらず、総じて文章が下手な理由でもある。母国語ではそれなりにまともに書けるということが、英語の記事にも多少なりとも滲み出ていればいいのだが、と願っている。ただ、極端に乏しい語彙、文法の誤り、そしてしばしばイタリア語の構文をそのまま英語に置き換えただけのような文章――そうした限界が、読む体験をどうしようもなく損なっている気がしてならない。

だから今回、LLMとプログラミングについての記事を書くにあたって初めて、違うやり方を試してみた。イタリア語で記事を書き、それをGPT-4で英語に翻訳したのだ。結果は、いつもよりずっと良い出来になったと思う。しかも執筆にかかった合計時間は、英語で直接書く場合と大差なかった。イタリア語の方が少し速く書ける分、GPT-4にセクションをコピー&ペーストして出力を待ち、イタリア語の意味と合っているか確認し、必要に応じて少し手直しするのにかかった時間を相殺できたからだ。

翻訳を読んで、自分の声が聞こえてくることに驚いた。他人が書いたような違和感がないのだ。そして興味深いことに、GPTが生成した文章を検出するツールにかけると、その記事は「100%人間による執筆」と判定された。一方で、このやり方はどこか人工的にも見える。さらに悪いことに、この道を進み続ければ英語を書く自信を失ってしまうかもしれない。だから今後このブログをどう書いていくかは、まだ決めかねている。ただひとつ確かなことがある。今あなたが読んでいるこの記事は、私一人の手によるものであるだけでなく、このブログの伝統どおり、ざっと一度見直しただけで、読み返しも校正もほとんどしていないということだ。そうすることで、私の生の英語がどんなものかを見てもらえる。興味があれば、LLMについての記事と比べてみてほしい。その差は、甚だしいと言ってもいい。

別の見方をすれば、翻訳された記事の方が私の本当の声であり、むしろ英語で直接書くことこそがごまかしなのかもしれない。翻訳された記事の方が、英語で書くときの限られた語彙ではなく、母国語における私の語彙力をより忠実に反映しているからだ。言いたいことのニュアンスをより多く捉えているのかもしれない。ただ、そうなると「文体とは何か」というさらに深い議論にもなる。文体とは、文章の構成やアイデアの展開の仕方のことなのか、それとも使われる語彙、特定のイメージや意味を伝えるために選ばれた一つひとつの単語や形容詞のことなのか。おそらくその両方であり、両者は切り離せない一体のものなのだろう。

いずれにせよ、2024年になった今、ようやくこうした選択肢を手に入れたという単純な事実が、私を希望と恐れで満たす。話すことができる機械とともに、人類が手にする可能性への希望。そして、AIが誰もを怠惰にし、新しい言語を学ぶような骨の折れることを誰もしようとしなくなるかもしれないという恐れだ。

この記事は「muse-spark-1.2-contributor」を使用して翻訳されました。

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