シンプルに書く
私はなるべく平易な言葉とシンプルな文で書くようにしています。
そうした文章は読みやすいものですし、読みやすいほど読者は内容に深く没入してくれます。文章を読むことに費やすエネルギーが少なければ、その分だけアイデアを味わうためにエネルギーを残せるのです。
そしてより先まで読んでもらえます。多くの読者は、記事やエッセイの途中でエネルギーが切れてしまいます。読むときの摩擦が十分に小さければ、最後まで読み通してくれる人が増えるのです。
イタリア料理にsaltimboccaという料理があります。「口の中に跳び込む」という意味です。私が書くときに目指しているものは、たとえるならsaltintestaと呼べるかもしれません。アイデアが頭の中に跳び込んできて、それを運んできた言葉の存在にはほとんど気づかないような状態です。
文章が純粋なアイデアそのものになることを望むのは、望みすぎでしょう。そもそもそうなることを望まないかもしれません。しかし、ほとんどの書き手にとって、ほとんどの場合、それが目指すべき目標です。多くの文章と純粋なアイデアとのあいだにある隙間を埋めているのは、詩的な美しさではないのです。
それに、シンプルに書く方が相手への配慮にもなります。人に感心させようとして気取った書き方をすれば、自分が格好よく見えるためだけに、読者に余計な労力をかけさせていることになります。まるで長い裳裾を引きずって歩き、その裾を読者に持たせているようなものです。
そして、英語で書くのであれば、読者の多くが英語を母語としない人たちだということを忘れないでください。彼らのアイデアに対する理解は、英語の理解をはるかに上回っているかもしれません。ですから、難しいテーマについて書くからといって、難しい言葉を使っていいということにはならないのです。
もちろん、気取った文章はアイデアを覆い隠すだけではありません。アイデアがないこと自体を隠すこともできます。言うべきことが何もないという事実を隠すために、わざとそう書く人もいるのです。一方で、シンプルに書くことはあなたを正直にします。何もないことをシンプルに書けば、あなた自身を含め、誰の目にもそれは明らかになるのです。
シンプルな文章は、長持ちもします。将来あなたの文章を読む人は、今日あなたの文章を外国から読む人とほぼ同じ立場に置かれるでしょう。文化も言葉も変わっているはずです。そうしたことを気にかけるのは、決してうぬぼれではありません。家具職人が長持ちする椅子を作ろうとするのがうぬぼれでないのと同じです。
そもそも、長持ちすることは、椅子にとっても文章にとっても、単なる偶然の特性ではありません。良い仕事をした証なのです。
ただ、これらはどれもシンプルに書くことの確かな利点ではありますが、私がそうする理由はそこにはありません。私がシンプルに書く一番の理由は、そうしないことが自分の気分を害するからです。複雑すぎる文や、必要もなく知的ぶった言葉を使った文を書くと、私には気取って見えるのではなく、ただ不器用に見えるのです。
もちろん、効果を狙ってあえて複雑な文や気取った言葉を使いたい場面もあります。しかし、それをうっかりやってしまうべきではありません。
私の文章が結果的にシンプルになるもう一つの理由は、書き方そのものにあります。私は初稿を一気に速く書き上げ、その後何日もかけて推敲し、すべてをあるべき形に整えていきます。その推敲の多くは削ることであり、それがシンプルな文章をさらにシンプルにしていくのです。
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