財産の定義
子どもの頃、18世紀の日本で活躍した名奉行・大岡忠相についての物語集を読んだ。その中に、彼が裁いたこんな事件があった。ある料理屋の主人が訴えを起こしたのだ。貧しい学生が、米しか買えないのに、その店から漂ってくるおいしそうな料理の匂いをおかず代わりにして米を食べていた。主人は、その匂いを楽しんだ分の代金を払えと求めた。
学生は匂いを盗んでいたというわけだ!
RIAAやMPAAが人々を音楽や映画を盗んだと非難するのを聞くたびに、私はこの話を思い出す。
匂いを財産として扱うなど、私たちには馬鹿げて聞こえる。だが、匂いにお金を取れる状況も想像できる。たとえば月面基地で暮らし、空気をリットル単位で買わなければならないとしたらどうだろう。空気の供給業者が、追加料金で香りを付けて売ることだってあり得るだろう。
匂いを財産とみなすことが馬鹿げて思えるのは、そうしてもうまくいかないからだ。だが、月面基地ならうまくいくだろう。
何が財産とみなされるかは、何を財産として扱うことがうまくいくかにかかっている。そしてそれは、変わり得るだけでなく、実際に変わってきた。人間は(人間や「常に」の定義にもよるが)身につけて持ち歩くような小さな物は常に財産として扱ってきたのかもしれない。だが、たとえば狩猟採集民は、土地を私たちのような意味で財産とはみなしていなかった。1
多くの人が財産にはただ一つの不変の定義があると思い込んでいるのは、その定義がごくゆっくりとしか変わらないからだ。2 しかし今、まさに私たちはその変化のただなかにいる。レコード会社や映画会社は、これまで自分たちの作ったものを、月面基地でチューブを通して空気を送るように流通させてきた。だがネットワークが登場したことで、私たちは呼吸できる大気のある惑星に移り住んだようなものだ。データは今や匂いのように漂う。そして希望的観測と短期的な欲のせいで、レコード会社や映画会社はあの料理屋の主人と同じ立場に自らを追い込み、私たち全員を匂いを盗んでいると非難しているのだ。
(短期的な欲と言うのは、レーベルやスタジオの根底にある問題が、経営者たちが株式の価値ではなく賞与に動かされていることにあるからだ。もし株式の価値を動機としていたなら、技術の変化に抗うのではなく、それを利用する方法を探すはずだ。だが新しいものを作るには時間がかかりすぎる。彼らの賞与は今年の売上にかかっており、その売上を伸ばす最も手っ取り早い方法は、すでにやっていることからさらに金を絞り取ることなのだ。)
では、これは何を意味するのか。コンテンツにお金を取ってはいけないということなのか。この問いにイエスかノーかの単純な答えはない。コンテンツにお金を取ることがうまくいくときには、取ることができてしかるべきだ。
ただ、ここで言う「うまくいく」とは、「なんとかごまかして取れるとき」というような単純な意味ではない。社会を歪めずにコンテンツの対価を取れる場合という意味だ。考えてみれば、月面基地で匂いを売っていた会社は、地球に来てからも匂いを売り続けることはできる。たとえもう必要ないのに、地上でもチューブを通して呼吸することを私たち全員に義務づける法律を作るようロビー活動に成功すればの話だが。
レーベルやスタジオが取ってきた常軌を逸した法的手段には、まさにそうした匂いがある。新聞や雑誌も同じくらい苦境に立たされているが、少なくとも彼らは潔く衰退を受け入れている。RIAAやMPAAは、できれば私たちにチューブで呼吸させようとするだろう。
結局のところ、これは常識の問題だ。無作為に選んだ人々に対する大量訴訟を見せしめの罰として利用したり、もし成立すればインターネットを壊してしまうような法律のためにロビー活動をしたりと、法制度を濫用しているのであれば、それ自体が、うまく機能しない財産の定義を使っていることの証拠なのだ。
ここで、正常に機能する民主主義と、主権を持つ複数の国家が存在することが役に立つ。もし世界に単一の独裁的な政府しかなければ、レーベルやスタジオは、自分たちに都合のよい財産の定義を法律として買うことができただろう。だが幸いなことに、まだアメリカの「著作権植民地」ではない国も存在するし、アメリカ国内でさえ、政治家は、数が十分に集まれば、依然として実際の有権者を恐れているように見える。3
アメリカを動かしている人々は、有権者や他国が自分たちの意のままにならないことを好ましく思わないかもしれないが、結局のところ、法を自分たちの都合のよいように歪めようとする者にとって、攻撃すべき一点が存在しないことは、私たち全員の利益になる。私有財産という考えは極めて有用だ――おそらく人類最大の発明の一つとさえ言える。これまで、財産の新たな定義はそのたびに私たちに増大する物質的豊かさをもたらしてきた。4 次の新たな定義もまたそうなるだろうと考えるのは理にかなっている。ほんの一握りの権力者たちがアップグレードを面倒がったばかりに、私たち全員が時代遅れのバージョンを使い続けなければならないとしたら、それは災難だ。
注
1 狩猟採集民についてもっと知りたいなら、エリザベス・マーシャル・トーマス(Elizabeth Marshall Thomas)のThe Harmless PeopleとThe Old Wayを強く勧める。
2 ただし、財産の定義の変化は主に技術の進歩によってもたらされる。そして技術の進歩は加速しているのだから、財産の定義が変わる速度も同様に加速していくと考えるのが自然だろう。つまり、社会がそうした変化にしなやかに対応できることがますます重要になる。なぜなら変化はこれからますます速いペースで訪れるからだ。
3 私の知る限り、「copyright colony(著作権植民地)」という言葉を最初に使ったのはマイルズ・ピーターソン(Myles Peterson)だ。
4 技術の水準は単に財産の定義によって決まるわけではない。両者は互いに制約し合っている。そうである以上、財産の定義をいじくれば、技術の水準に影響を及ぼさずにはいられない――そしておそらくはそれを損なうことになる。ソ連の歴史は、そのことを鮮やかに示している。
謝辞 この文章の下書きを読んでくれたサム・アルトマン(Sam Altman)とジェフ・ラルストン(Geoff Ralston)に感謝する。
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