As Code
原文は Mitchell Hashimoto により に公開されました。 このブログを購読する
私は「X as Code」における「as code」という接尾辞を、これまで個人的に「原理や規則の体系」1と定義してきた。これは「as code」を「プログラミングとして」と解釈する一般的な理解とは対照的なものだ。
この短いブログ記事を書いて自分の意図を明確にしておく必要を感じたのは、代表的な「X as Code」ツールであるTerraform2を立ち上げたという経歴から、こうした誤解の対象に個人的になりやすいからだ。
「X as Code」3で私が常に意図していたのは、人々の頭の中にある知識を、より明文化されたシステムへと移すことだった。一度明文化されれば、知識やプロセスは共有したり、バージョン管理したり、繰り返し改善したりできるようになる。
プログラミングとの関係で言えば、コード化された知識はコンピューターが読み取れる形になる傾向があり、それに伴うあらゆる恩恵(自動化や検証など)をもたらす。しかし、だからといって現代的なプログラミングに求められる要件のすべてを「as code」なシステムに適用すべきだとは、私は考えていない。
歴史的な補足として、私は10年以上前(Terraform以前だ!)にTao of HashiCorpを共同執筆したが、この考え方は今も2つの「Codification(コード化)」のセクションに残っており、執筆当時からほぼ変わっていない。これは私の「as code」に対する意図を理解するための、さらなる手がかりになるはずだ。
この投稿を、「as programming」という考え方への批判や、「as code」が完璧であるという主張、あるいは「as code」は常にこのように解釈されるべきだという主張として受け取らないでほしい4。いずれも真実ではない。私がしたいのは、歴史的に私がこの用語をどのような意図で使ってきたかを明確にすることだけだ。
脚注
私は何年もTerraformの開発に携わっておらず、2023年にHashiCorpを退職した。また、Terraformについては立ち上げに関わったと主張しているだけであり(しかも一人ではなかった)、今ではもう何年も他の人々によってメンテナンスされている。 ↩
私は「X as Code」や「Infrastructure as Code」という用語を作ったわけではない。誰が作ったのかは知らないが、Terraformや私のキャリアよりも前から存在していた。頼まれてもいないビジネス上のアドバイスをひとつ――新しい市場カテゴリーを作るな。既存のカテゴリーに参入し、市場の教育にかかるコストは競合他社に負わせるのだ。 ↩
結局のところ、物事の定義は社会的なプロセスで決まるのだ。群れが向かうところに、我々も皆向かうことになる。 ↩
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