GUIは非社交的だ
先週、私はCoRecursiveポッドキャストの、PowerShellの主任設計者であるジェフリー・スノーバーへのインタビューを聴いていました。
そのインタビューの中で、丸一週間ずっと頭から離れなかった場面があります。スノーバーが、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)は本質的に「非社交的」だと主張したくだりです。
そう、マウスは非社交的なんだと気づいたんです。GUIは非社交的です。それはどういう意味か。解決すべき問題があって、GUIで解決する。何が得られますか。問題が解決されるだけです。
でも、スクリプト環境のコマンドラインインターフェースで解決すると、成果物が残ります。すると突然、その成果物を誰かと共有できるようになる。
それに、どうやって実現したかを見れば、そこに巧みさが表れることもあります。GUIを巧みに使う人なんて、これまで一度も見たことがありません。本当に一度も。 GUIには巧みさがないんです。「えっ、アダムのマウスのクリックの仕方、見た? すごいよ。みんな、みんな、みんな、みんな、ちょっと来て! 見てみて。アダムがボタンをクリックするよ! すごい! あれは驚異的だ!」なんてことは起こらない。そんなことはありえません。
スノーバーは、印象的なコマンドラインスクリプトを見たときの反応と、これを対比させます。
「えっ、見た? プルーストがやったこと。すごすぎる! こいつ、本物の天才だよ」となる。それから、「ねえ、それをこっちにくれ。今の技法を盗んで、自分のコードに応用するから」と言う。あるいは、私がその成果物を持っていて、それを公開し、人々が使ってくれる。そこには感謝の気持ちが生まれる。「これは一杯おごってもらわないとな」と思ってもらえるんです。
……
だから、そこには社会的な環境がある。とにかく、本当にこういう感じでした。「いやあ、ものすごく楽しい!」
スノーバーのこの捉え方が私は気に入りました。スクリプトで操作できるインターフェースのほうが、GUIよりも組み合わせやすく、再利用しやすいことは、よく知られています。でも、ある意味ではスクリプトのほうが人間らしく感じられるということは、考えたことがありませんでした。
スクリプトを使えば、GUIではできない形で創造性や発想力を表現できます。また、スクリプトには、互いの技法を学び合う楽しさもあります。GUIでは、そうした技法の交流は起こりません。
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