ミリオネアたちを眺めて
原文は Matthias Endler により に公開されました。 このブログを購読する
先日チャンピオンズリーグの決勝を観ていて、ふと気づいた。自分はずっとミリオネアたちばかり見ているんだ、と。
ピッチに立つ選手も、監督も、クラブのオーナーも、みんなミリオネアだ。なんだか現実離れしている。
今週は映画『ジョン・ウィック:バレリーナ』を観たが、そこでもまた同じだった。キアヌ・リーヴスもミリオネア、アナ・デ・アルマスもミリオネアだ。
昨日はトランプとマスクが争っているというニュースを聞いた。この2人に至ってはミリオネアですらない、ビリオネアだ!
この文章を書いている今も、ドイツの音楽フェス、ロック・アム・リングの配信を観ている。ウィーザーが演奏している。彼らもみんなミリオネアだ。
これをどう捉えればいいのかわからない。奇妙な気づきだが、共有する価値はある気がした。
エリートばかりに注目することで身近な人たちから目が逸らされている、という話もできるだろう。でも、言いたいのは少し違う。もっと気になるのは、こうした状態がいかに当たり前になってしまったかということだ。
ただのべき乗則なのかもしれない。一握りの人間が頂点に上り詰め、僕らが見ることでさらに彼らを増幅している。でも、どんな分野でも大半の人はミリオネアなんかじゃない。ただ僕らが目にしていないだけなのだ。
ここは小さな男が書く小さなブログだ。ここまで読んでくれたなら、本当にありがとう。あなたもきっと、小さな物語を大切にしてくれているのだろう。
もしあなたが僕と似ているなら、小さな物語を楽しむだけでなく、積極的に探し求めているはずだ。でも今はそういうものが本当に少なくなった。もちろん今でも人々が物語を共有している場所はある。ただ、どこを見ればいいかを知っている必要がある。
だからこそ、僕らはもっと発信すべきなんだ。書いてみよう、ささやかなこと、日々の何気ない瞬間、出会った人々、あなたが大切にしていることについて。誰かの人生を生きるのはやめよう。
ウィーザーのフロントマン、リヴァース・クオモはかつてこう書いている。
今の僕のモチベーションは当時とはまったく違う。当時はひどく不満を抱え、クラシックの作曲家や作家、要するに今の自分以外の何かになることを夢見ていた。今はただ人生を楽しみ、責任を果たしたい——卒業することだ。
これは彼のハーバード大学への復学願書(2005年)からの一節だ。
何年も経ってからハーバードに戻れと誰に強制されたわけでもない。その頃には彼は紛れもないミリオネアのロックスターだったのだ。
それでも、彼は戻った。
彼は演じることをやめ、生きることを始めたのだ。
僕らはずっと他人の人生を眺めていなくてもいい。
自分の人生を生きよう。
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