スタート画面を再発明しようとしたマイクロソフトの最も野心的な試み
原文は Marcin Wichary により に公開されました。 このブログを購読する
TechAltarのMarton Barcza氏による、2010年代のほぼ全期間にわたってマイクロソフトが推し進めてきた名物のライブタイルに何が起きたのかを分析した、優れた12分間の動画がある:

Windows Phoneファンの間では、ライブタイルが失敗したのはマイクロソフトの出来が悪かったからだという意見が支配的で、少なくとも部分的にはその通りだと思う。なにしろ、Skypeのような主要なマイクロソフト製アプリでさえライブタイルが半分の確率で壊れていたし、Windows 10のスタートメニューは実際に役立つ何かを表示するどころか、どう見ても単なるアニメーション広告にしか見えないライブタイルでマイクロソフト自身によって埋め尽くされていたし、同社が掲げていた先進的なインタラクティブのコンセプトが実現されることもついになかったのだから。
しかし、そうしたことが事実だったとしても、あらゆる大手企業がこのアイデアから手を引いて以来、誰もそれを拾おうとしていないという事実は、このアイデア自体により根本的な問題があることを意味しているのだろう。私が考えられる問題は、明確に3つある:
- ユーザーエクスペリエンス、
- フォームファクター、
- そして水平統合だ。
Barcza氏はさらに具体的なインタラクションや問題について語り、ライブタイルはアイコン、ウィジェット、通知のすべてを同時に担おうとして、結局どれもあまりうまくこなせないという居心地の悪い交差点に行き着いてしまった、という結論に至っている。加えて、デザインが基本的にモバイルファーストであったために、大画面への移行をうまく乗り越えられなかったという課題もあった。(ライブタイルは2017年に廃止され、その時点でデスクトップ版Windowsは以前の姿に戻り、モバイル/タブレット向けラインは完全に廃止された。)
今日これを見ていて興味深いと感じたのは、AppleもLiquid Glassのアプローチや、より広範なプラットフォーム統合への志向(例:macOSの「設定」)において、似たような過ちを犯しているように思えることだ。これらもライブタイルと同様に「システムのシステム」を作り出そうとした試みだったが、どちらも本来属さない場所に大きなコンセプトを無理やりこじ入れているかのようなぎこちなさを、時折感じさせる結果に終わっている。
さらなる調査の参考になれば、ライブタイルはMetroと呼ばれるより大きなUIの取り組みの一環であり、Windows Phoneとともに本格的に始まったものだと理解している。
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