創造性の蛇口:創造性を高める方法
原文は Julian Shapiro により に公開されました。 このブログを購読する
物書きにとって最も価値のあるスキルの一つは、新しいアイデアを生み出す力だ。
去年、私はそれを意のままに実現するテクニックに偶然出会った。
シンガーソングライターのエド・シーランについてのドキュメンタリーを見ていたときのことだ。そこで彼は自身の曲作りのプロセスを語っていたのだが、それが作家のニール・ゲイマンがMasterClassで明かしていたプロセスとまったく同じだと感じた。
大事なのはここからだ。
エド・シーランとニール・ゲイマンは、それぞれの分野で上位0.000001%に位置する存在だ。世界で繰り返し大ヒットを生み出せる、たとえば25人の中に入るような人物たちである。
世界的一流のクリエイター2人がまったく同じ創作プロセスを共有しているとなれば、興味を惹かれずにはいられない。しかも、この記事を書いている最中に、ジョン・メイヤーも同じことをしている動画を見つけた。
私は彼らのアプローチを「創造性の蛇口」と呼んでいる。
自分の創造性を、詰まった水道管に溜まった水として想像してみてほしい。最初の1マイルは汚水でぎっしり詰まっている。この汚水を出し切らなければ、澄んだ水はやって来ない。
パイプについている蛇口は一つだけなので、まず汚水を出し切る以外に、クリアな状態へ至る近道はない。
これを創造性に当てはめてみよう。創作を始めるときは、頭に浮かんだ駄目なアイデアを最後まで見届けるのだ。駄目なアイデアに自己批判的になって抵抗するのではなく、それらを最後まで見届けなければならないのだと認識する。
ちなみに、駄目なアイデアというのは、往々にして脳が浴びすぎたクリシェのことだ。
駄目なアイデアを出し切ると、驚くべきことが起こる。より良いアイデアがやって来始めるのだ。私なりにその理由を推測してみよう。十分な量の駄目なアウトプットを生み出すと、脳は反射的に、どの要素が駄目さの原因だったのかを識別し始める。すると、それらを避けるのが上手くなる。面白いアイデアを、より鋭い直感でパターン認識できるようになるのだ。
これがうまくいくのは、何もないところから良いものを作るよりも、駄目なものを見てどう良くするかを直感する方が簡単だからだ。人間の脳は、自発的な独創性を発揮するようにはできていないが、世界の何がおかしいかを検知するようにはできている。曲のキーが高すぎるか?下げればいい。物語の主要人物が多すぎるか?何人か削ればいい。
ニール・ゲイマンもエド・シーランも、自分たちが超人でないことを知っている。彼らはただ、毎回の創作セッションで、脳が良いものと悪いものを対比できるように、汚水を出し切る時間を確保する規律を持っているのだ。ニールとエドは、澄んだ水が来るかどうかを心配しない。必ず来るからだ。
- 作品は、拙い模倣から始まる。
- その模倣の何が拙いのかを見極める。
- オリジナルになるまで模倣を繰り返し改善する。
ほとんどのクリエイターは駄目なアイデアに抵抗し、結局澄んだ水にたどり着けない。真っ白なドキュメントを開き、思いつきを少し書きなぐっただけで、金脈に当たらなかったからと立ち去った経験があるなら、あなたもまた汚水の先へ進めなかったということだ。エドとニールは、この恐れと怠け心を乗り越える訓練を積んできた。
モーツァルトは600曲を作曲し、エジソンは1093件の特許を取得した。今日まで記憶されているのはそのうちのわずかだが、それが要点だ。良いものにたどり着くために、駄目なものを受け入れるのだ。
「創造性の蛇口」を自分の目で確かめてみてほしい。エドがこのメンタルモデルについて語るインタビューがこちら。そして、ジョン・メイヤーが「創造性の蛇口」をリアルタイムで披露する動画がこちら。最後に、この投稿に対するニール・ゲイマンの反応がこちら。
並置こそがエンジンだ
「創造性の蛇口」は、私たちにひたすら生み出し続けることを促す。しかし、何が本当に素晴らしいアイデアを作るのかまでは教えてくれない。
そこで登場するのが、2つ目のテクニックだ。容赦ない並置(Relentless Juxtaposition)。これは、異なるアプローチに由来する無関係な要素を繰り返し組み合わせ、何か素晴らしいものとしてうまくはまるかどうかを試すという、私なりの呼び名だ。
たとえば、曲を書くなら、異なるジャンルのソロを混ぜたり、到底合わないと思えるような時代のサンプルを混ぜてみる。本を書くなら、ファンタジーの定番とSFの定番を混ぜてみる。
なぜか。予想外の組み合わせが見事にはまったとき、結果として生まれるのは誰も見たことがないものだ。そこには予想外のコントラストがあるため、観客は身を乗り出す。彼らのパターン認識が裏切られ、心が躍るのだ。
並置が実際に機能している例を紹介しよう。ミュージシャンのポール・サイモンが、史上最も人気のある曲の一つを書く場面だ。
容赦ない並置が教えてくれる創造性についての教訓がある。自分が愛するものを再現するな。代わりに、誰かがとっくに作ってくれていればよかったのにと思うものを追求せよ。そこにこそ独創性がある。
これは微妙だが決定的な違いだ。なぜか。自分が愛するものを再現することは、しばしば凡庸なコンテンツへのレシピになる。ほとんどのテレビ番組が退屈なのは、脚本家たちが子供の頃に愛したキャラクターやシーンをコピー&ペーストするからだ。彼らは過去のものの寄せ集めを作り出す。それが視聴者に、刺激がなく醒めた気分を残すのだ。
そうではなく、自分のジャンルにようやく挑戦してほしいと思うことを追求するのだ。まだ見たことのない、どんな領域へ行けるだろうか?
これを考えるためのテクニックを紹介しよう。大好きな映画を半分まで観たところで一度止め、「この映画の後半として、最もぶっ飛んだ展開は何だろう?」と自問してみるのだ。自分が最もワクワクする答えこそ、他の誰もやっていないことのはずだ。
独創性は必須ではない
多くのクリエイターがインスピレーションが降りてくるのをただ待っている一方で、「創造性の蛇口」と「容赦ない並置」は、創作プロセスを絶えず前進させ続ける責任をあなたに持たせる。
ただし、一つ注意しておきたい。独創性の追求にこのプロセスを凍りつかせてはならない。そもそも独創性よりも重要なゴールがもう一つあるからだ。共鳴(レゾナンス)である。
共鳴とは、視聴者の心を奪う、共感できるストーリーテリングのことだ。人はそのアイデアと向き合わざるを得なくなる。今日の感性に照らして、あるアイデアをあまりにも生々しく、正直に表現することで、人々がそれから目を離せなくなるのだ。
『グラディエーター』や『ショーシャンクの空に』のような映画が、いつの時代にもあるようなクリシェに満ちた物語を語っていることを考えてみてほしい。だが、それらは数十年にわたり、他のほとんどの映画よりも強く共鳴し続けている。
なぜか?
共鳴度の高いストーリーテリングが、独創性に優先するからだ。結局のところ、新しいことを伝えて誰かの人生を変えることは稀だが、彼らが真実だと知っていることをあまりにも見事に言語化すれば、ついにそれと向き合わざるを得ないほど深く心を揺さぶることができる。
そして、ここですべてがつながる。新規性と共鳴が合わさったとき、それは驚異的な力を発揮する。それこそが、誰もが注目するブレイクスルーな物語を生み出すのだ。
だから私はこう考える。
ストーリーテリングのエンゲージメント = 新規性 × 共鳴
新規性と共鳴が高まるほど、人々はその体験を忘れられなくなる。そして、それこそが私たちがここにいる理由なのだ。
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