レガシーについて
原文は Jason Fried により に公開されました。 このブログを購読する
僕はレガシーについてあまり考えない。君のも、僕のも、誰のものであれ、正直なところ。
今、できるかぎりの最善を尽くせばいい。今のために。後からのためじゃない。後で役に立つなら、それはそれでいい。でもそれは、今役に立っているからこそなんだ。
レガシーとは、生前ずっと無視され、死んでからようやく評価された芸術家のようなものではない。それは単なる認知や名声の話だ。彼らの作品は、当時からすでに素晴らしかったのだ。
レガシー?そもそも誰が覚えているというんだ?
ひいひいひいおじいさんやおばあさんの名前を覚えているだろうか?彼らのレガシーとは何か?君だよ。君にとって一番大切なのは君自身で、彼らは君が存在するために不可欠な人たちだ。それなのに、君は彼らが誰だったのかさえ、おそらく知らない。たった数世代前のことなのに。
数クリックさかのぼった祖先のことさえ思い出せないのに、数クリック先の未来で誰かが君の仕事を覚えてくれていると思うのか?
もしかしたら覚えてもらえるかもしれない。でもそれは、今日の時点で良いものだった場合だけだ。
後世は、そのほとんどを忘れる。やがては、すべてを。
今日君が何をやるか、そしてどうやるか。それこそが、覚えておくに値することだ。
レガシーとは記念碑ではない。ただ、その瞬間の繰り返しだ。
—ジェイソン
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