「作ること」と「作ったもの」を取り違える
原文は Jason Fried により に公開されました。 このブログを購読する
プロダクトをどれだけ速く開発したかで、そのプロダクトの良し悪しが決まるわけではない。コミットの数で良し悪しが決まるわけではない。何人、あるいは何体のエージェントが取り組んだかで決まるわけでもない。どれだけ時間を注ぎ込んだかで決まるわけでもない。週末に働いたか、夜遅くまで働いたかも、良し悪しとは関係ない。こうしたことを語るのは、一見プロダクトについて語っているように聞こえるが、実際にはプロダクトのことなど何も語っていない。
それらはすべて開発の指標や働き方のスタイルに過ぎない。プロダクトそのものについては何も語らない。どれも裏方の話だ。作る側にとっては重要かもしれないが、使う側にとって本質的に重要なわけではない。
開発の指標や働き方のスタイルは、フィット感について何も語らない。品質についても何も語らない。わかりやすさについても何も語らない。使いやすさについても何も語らない。有用性についても何も語らない。パフォーマンスについても何も語らない。顧客がそのプロダクトを使ったときにどう感じるかについても、何も語らない。
それは、キッチンに何人の料理人がいたか、シフトがどれだけ長かったか、何件の注文をさばいたか、片付けのために何時まで残ったかを語ってレストランを評価するようなものだ。そのどれも、料理についても、プロダクトについても、顧客の体験についても何も教えてはくれない。
「作ること」と「作ったもの」を取り違えるのは、キッチンと料理、あるいは設計図と建物を取り違えるようなものだ。両者はつながっているが、同じものではない。そして、どちらがはるかに重要かは明らかだ。
―ジェイソン
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