人を忘れないで
コンピュータは冷たくて無情だ。嘘はつかないし、こちらが喚こうが悪態をつこうが、気にもしない。一日中こき使っても、黙々とビットを反転させ、ピクセルを描き続ける。
でも、人はそうじゃない。どんなソフトウェアの向こうにも、少なくとも一人の人間がいる。心を持ち、あなたの言葉を気にかける人。希望や夢や恐れを抱える人。感じることのできる人間だ。
このことは、ずっと前から何らかの形で書きたいと思っていた。そしてこの記事を、少し長く書き直し続けてきた。
ときどき、私たちは人のことを忘れてしまっている気がする。自分たちが作るソフトウェアの向こうに人がいることを忘れるか、あるいは、人のためにソフトウェアを作っているのだということを忘れるかだ。
最近、とりわけここ最近は、誰かが自分の作ったものやアイデアを公開すると、必ず誰かがやってきて批判せずにはいられないように感じる。もっと速い言語で書けたはずだ、メモリをもっと節約できたはずだ、肥大化がどうとかネイティブコードがどうとか。あるいは、あのプロジェクトにはある機能がこれにはない、じゃあ誰がこんなものを使うんだ、とか。
キャリアの初期のころ、プルリクエストを開くたびに小さな不安を感じていたのを覚えている。これで十分だろうか。自分はプログラミングが下手なんじゃないか。みんなに嫌われるんじゃないか。間違っていたらどうしよう。失敗への恐れは成功を妨げる最大の障害のひとつで、あまりにも often 人が共有することや、本来なら成し遂げられたはずのことを止めてしまう。「まだ公開できるレベルじゃない」という感覚も、そこから来るものだ。
この文章を書いている今でさえ、まだ完璧じゃない、公開するには足りないんじゃないかと感じずにはいられない。でも、そこがこのブログの目的なんだ。100%じゃなくても、外に出すことを自分に課したい。
未完成でも、最速でも、一番きれいでも、最も最適でもないやり方で作られたものでも、共有していいと思えるべきだ。楽しんで作ったものを共有したいなら、すればいいじゃないか。あなたの好みの技術を使っていないからといって、しかもあなたがお金を払って作らせたわけでもないのに、なぜ他人の作ったものをボロクソに叩く必要があるんだろう。
それなら、いっそ自分で作ればいい。そこまで気になるなら、他人のものを引きずり下ろす代わりに、自分のものを作り上げればいい。
お金を払ったプロ向けのソフトウェアが期待外れで、不満を覚えるのはある程度理解できる。でも、それがオープンソースで、無料で、誰でも使えるものだったら? なぜ文句を言う必要があるんだろう。自分に合わないなら、ただ……スルーすればいい。
私の友人の中には、自分のブログ記事をHacker NewsやRedditなどに投稿しない人がいる。自分の文章はまだ十分じゃないと感じたり、あそこでボロクソに叩かれる気がしたり、どこかに小さな間違いがあるかもしれないと思ったりして。
数えきれないほどの言い争いに火をつけている一番の原因は、正しくありたいという根深い欲求だと思う。何度も語られてきたことだけど、どういうわけか人はインターネットの誰かが間違っているという状況に耐えられない。
でも、誰かが自分の時間を使って、何を作るのにどの道具や技術を選ぶかという好みの問題で、本当に「間違い」なんてあるんだろうか。
テック業界の人間には、こんなステレオタイプがある。みんな超がつくほどのオタクで、人付き合いが苦手で、人と話すこともできず、一日中地下室にこもってプログラミングしている、というイメージだ。そして、もしコードを書くのが本当にうまければ、それで許されるのだと。でも、本当にそうだろうか。人のためのコードを書き、人と一緒にそれを作るのなら、コミュニケーション能力がないというのはそもそも選択肢にならない。技術的なスキルと同じで、対人スキルも生まれつきのものじゃない。技術を磨くのと同じように、意識して伸ばしていけるものだ。
この記事から何かひとつでも持ち帰ってもらえるとしたら、これだ。どうしても何か言わずにはいられない、誰かが間違った選択をしたと強く感じたときは、言い方を少し考えてみてほしい。例えば、
やあ、いい仕事だね。ちょっと気になったんだけど、どうして より を選んだの?
vs
はあ、これが を使っていればもっと良かったのに。最近の技術の流れは本当に嫌いだ
私たちの業界をもっと優しく、誰もが歓迎される場所にしよう💖
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