エージェントにオープンソースを民主化させよう
原文は David Heinemeier Hansson により に公開されました。 このブログを購読する
オープンソース運動は、コードへの自由なアクセスと改良を公開するための寛容なライセンスを通じて、ソフトウェアを変更する誰もが持つ権利のために戦うことに数十年を費やしてきた。だがAI革命の夜明けに、この使命がようやく広く実現されようとしている今、ある人々にとって「誰もが」は決して文字通りの誰もがを意味していなかったことが明らかになっている。
つまり、すべてのプログラマは平等だが、一部のプログラマは他よりももっと平等なのだ。AIに支援されているプログラマは本物のプログラマではない。だから、普遍的であるはずのオープンソースの権利を与えられる資格はない。現代のラッダイト運動の一環として次々と現れている反エージェント派の陣営では、そんなご都合主義の考え方がまかり通っているのだ。
大小問わず多くのプロジェクトが、古いプログラマーギルドの特権を守るため、AIの助けを借りたコントリビューションに対して築きつつある 新たな 参加 障壁を設けている。
これはいつの時代にもある保護主義の物語だ。
そして、その言い訳も同じくらい使い古されている。「品質の問題だ!」「帰属の問題だ!」「労働者の問題だ!」——勘弁してくれ。本当のところはあなたの問題だ。あなたの不安と、あなたの特権の問題なのだ。
人間はこの職業が生まれて5分も経たないうちから、いい加減な帰属表示とバグだらけのクソみたいなソフトウェアを書き続けてきた。エージェントは完璧ではないし、スロップは確かに問題だ。だが、より多くの人々に可塑的なコンピュータを享受する力を与えることは、オープンソースが掲げた本来のビジョンにとって間違いなく大きな勝利だ。
しかし、自由や平等のために戦うと称する多くの社会運動と同じように、このAIへの反発からは、ステータスゲームや嫉妬、そしてニーチェがルサンチマンと呼んだものの悪臭が漂っている。よくも俺がこの技術を習得するために耐え忍んだあの苦労もせずに、ソフトウェアを作ったり変えたりしてくれたな! この尊い力は、オタクとして社会的屈辱に耐えた俺へのご褒美なんだ!
本来ならコンピューティングの自由の広がりとして祝われるべきものが、最初にそれを手にしていた者たちの排他性を薄めるという理由で、むしろ非難されているのだ。
この内向きで、臆病で、保護主義的な考えに屈してはならない。プログラミングは進化している。最終的にどんな形になるのか正確には誰にもわからない。だが、より多くの人々がコンピューティングの自由の果実にアクセスできるようにすることは、参加の門を閉ざしたいという誘惑に抗うだけの価値がある。
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