ネチズン
原文は Derek Sivers により に公開されました。 このブログを購読する
この古い言葉の本来の意味には共感できる。インターネットの良き市民である、ということだ。
Wikipediaによれば、「ネチズン」とはインターネットの発展に積極的に貢献する人、私利私欲や利益のためではなく、インターネットをより良い場所にするために貢献する人のことだ。
僕は1993年からインターネットを使っている。1993年当時、(大学にでもいない限り)Macをインターネットにつなぐ唯一の方法は、TCP/IPネットワーキングについての分厚い紙の本を買うことだった。裏表紙の内側に入っているフロッピーディスクにSLIPやPPP対応のMacTCPドライバが入っていて、それでダイヤルアップモデムをコンピュータにつなぐのだ。
わざわざそんな手間をかけるのがどんなオタクたちだったか想像してみてほしい。1993年にインターネットにいたのは、そういう人たちだった。
そこは驚くほど助け合いにあふれた場所だった。ウェブやUsenet、FTP、メーリングリストを使って、みんなが知っていることを共有していた。そのすべてがプレーンテキストだった。画像が本格的に出てくるのは1年ほど後のことだ。
当時僕はレコーディングスタジオをやっていて、機材の同期がうまくいかず困っていた。Usenetのフォーラムに問題を投稿すると、翌日にはトリニダードの男性が直し方を教えてくれた。
お返しに、僕は自分が学んだことを共有した。曲の著作権登録の方法、バンド名の商標登録の方法、大学でギグを取る方法などだ。当時、米国著作権局や特許商標庁が書類をオンラインで公開するようになるのは何年も先のことで、僕はフラットベッドスキャナを買って紙の書類をスキャンし、自分のウェブサイトで公開した。Wired誌や多くのフォーラムが、僕のサイトをミュージシャンにとって役立つリソースとして紹介してくれた。オンラインでこれらの書類や手続きの説明を手に入れられる唯一の場所だったからだ。
広告なんてなかったし、お金の話もしなかった。オンラインで稼ぎたいと言う人に会ったとき、僕はインターネットとはそういうものではないと説明しようとした。インターネットは自由で助け合いの場であり、誰もが貢献し、誰もが他人の貢献から恩恵を受ける場所なのだと。
僕は世間知らずだったわけではない。清廉潔白ぶりたいわけでもない。本当に、当時はそういう文化で、そういう空気だったのだ。
やがて周りの文化はゆっくりと変わり、今では自分の奇妙な振る舞い――なぜみんなのように何もかもマネタイズしないのか――を説明する必要があるように感じている。僕はただ、その場所と時代が生んだ人間だ。1993年が僕のインターネット観を作った。そして僕は今も、その当初の精神のままやり続けている。
たとえ世界中がゴミだらけでも、自分が歩く道のゴミは拾うように。自分にできることで、物事を少しでも良くしていくのだ。
今の僕のネチズンとしての貢献は……
- 年間約1万通のメールに返信すること、
- NowNowNow.comを運営すること、そして
- 自分のサイトでできる限りのことを共有し続けることだ。
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